水俣病患者の辛苦と命の尊厳を表現する一人芝居で全国を行脚した、舞台俳優の故・砂田明さん(1928~93)の50年前の日記が見つかった。集会や舞台で朗読した詩「起(た)ちなはれ」の原点がつづられていた。
砂田さんは京都生まれ。10代で上京して新劇界に入り、劇団・地球座を設立。水俣病患者の生の尊厳を描いた作家の故・石牟礼道子さんの「苦海浄土(くがいじょうど)」(69年)に衝撃を受けて患者の支援に身を投じ、苦海浄土をもとに創作した一人芝居「天の魚(いを)」で水俣病を世に問うた。
日記は、妻のエミ子さん(93)と支援者が5月、熊本県水俣市の自宅裏の小屋で写真などを整理していて見つけた。舞台衣装などとともに、気づかないまま長年眠っていた。
70(昭和45)年6月10日の欄。日記は1カ月余の空白の後、突如再開する。
入梅宣言 実に三十五日ぶり。日記の上のこの空白は、充実の日々だった。
――水俣病との出会い。
“起ちなはれ”
もし、ヒトが、今でも 万物の霊長と言うのやったら こんなむごたらしい 毒だらけの世の中 ひっくり返さなあきまへん。 なにが文明や(略)
もし、あんたが、ヒトやったら 起ちなはれ 戦いなはれ 公害戦争や。水俣戦争やでエ。戦争のきらいなわしらのやる戦争や 人間最後の戦争や。正念場や
詩は6月13日の欄まで連続してつづられ、末尾にこう書いた。
(ほとんど二十年ぶりにかいた詩である)
14日には、詩の途中に挿入する一節を記した。
首はすわらん目は見えん 耳はきこえん口きけん 味は分からん手でもてん足であるけん そんな、そんなややこを産ませておいて
日記再開までの空白の1カ月は、苦海浄土を手にとり、衝撃を受けた日々とみられる。日記とともに今回、石牟礼さんへの手紙の下書き(5月12日)も見つかっており、そこから当時の興奮が伝わってくる。
比喩でなく魂をわしづかみにされた
何者かに抗(あらが)いがたく招かれて、己が運命との出会いにむかって進んでゆくような気持
いち早く「起(た)った」のは砂田さん自身だった。日記には「6/14 水俣裁判提訴一周年 ベ平連のデモに合流して代々木公園より日比谷まで、集会とデモ」と記している。
水俣病の公式確認から14年と…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル